おやこ劇場ひろしま 2004年3月低高合同定例鑑賞会(小学生以上)
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劇団 仲間
モモと時間どろぼう
開場は開演30分前 上演時間2時間15分
劇団仲間のHPは こちら |
「人間はそれぞれ自分の時間を持っていて、
本当に自分のものである間だけ、生きた時間でいられるのだよ。
自分の時間をどうするのかは自分自身で決めなければならない」
byマイスター・ホラ
*** みんなの感想 あれ・これ ***
時間をとりもどした時「ほっ」としました。(小5)
最初はながいなぁと思っていたけれど、途中から楽しく観れてよかったです。また観たいと思える事ができました。(小5)
私は劇団員をめざしています。大きくなったら、ここに入りたいです(小5)
みんなの時間を節約しなくちゃという気持ちから生まれた『時間の葉巻』を吸ってないと生きられないようなやつらに、言われたとおりにしている大人たちが情けない。おとなの都合で子どもを巻き込むなと言いたい。(小3)
娘は「黒尽くめの男の早くしろ、というほど子どもは早くしない」というくだりの台詞がお気に入りでした。子ども達は分かっていないのかと思ったら、自分の行動を自覚しているものなのだなあと、あの時会場が非常に受けたのを思い出しました。私は、なれないフルタイムのお仕事に疲れ、気づいたらいつもいいところは寝てしまっていたようなので、なんとも惜しい事でした。(40代・母)
また、モモの本が読みたくなりました。(30代・母)
内容の深い劇を観させていただきありがたく思いました。子どもにとって将来とても意味のあるものであったと思います。(40代・男性)
ミュージカル調でダンスと歌がたくさんでしたが私には中途半場で少し間延びして感じられ退屈でした。でも、小学校低学年と思われる子ども達が夢中で観ていたので大人には解らない魅力があるのかなぁ…と思いながら観ていました。でも原作の素晴らしさを再認識できました。(30代・母)
『時間』というテーマが難しかった。自分のだらだらと過ごして無駄に流れていった時間って、取り返しがつかない。それで余計に、子どもには「お母さん、今、忙しい」となってしまう・・・。(40代・母)
原作/ミヒャエル・エンデ 訳/大島かおり(岩波書店刊「モモ」より)
脚色/小松幹生 演出/香川良成
―あ ら す じ―
街外れの原っぱに、モモという女の子が独りきりで住んでいました。街の人たちは皆、モモが好きでした。子ども達はモモと一緒だととても楽しく、大人達はモモと話すと何故かとても心が休まるのです。しかし、いつの頃からか街の人たちの様子が変わっていきます。子ども達は遊びをやめて「将来のためになる」勉強だけをし、大人達は「良い暮らしのため」と信じて全ての無駄を省き、追い立てられる様にせかせかと働き始めたのです。それらは、全て“時間どろぼう”の仕業でした。彼らは「時間貯蓄銀行の社員」を名乗り、人々をそそのかして豊かな老後のために時間を貯蓄するよう勧めていたのです。しかし、人々の手元には何も残るはずはなく、皆徐々に落ち着きをなくして怒りっぽくなり、そして街の人たちの時間は気づかぬままに奪い取られてしまいました。誰も会いに来なくなり、モモは本当に独りぼっちになってしまいます。そんなモモの前に不思議な亀“カシオペア”が現れ、時間を司るマイスター・ホラ博士の所へ連れて行ってくれました。その不思議な場所で、咲いては散り、開いてはつぼむ“時間の花”を見せてもらったモモは、一人一人の人間に与えられる時間の豊さ、美しさを知ります。時間の本当の意味を知ったモモは、皆の盗まれた時間を取り戻すため、“時間どろぼう”と闘う決心をします。
ひと足おさきに観てきました!
2月19日、『モモと時間どろぼう』の試演会を、東京朝日生命ホールで観てきました。初演1985年、上演回数1000回に迫る劇団仲間の代表作の再々演です。原作はミヒャエル・エンデの「モモ」。どのように舞台化されているのか、とても楽しみでした。時計の文字盤をかたどった舞台の上でお話は進みます。一人何役も早変わり、舞台転換も多く、時空を越えるカメ「カシオペア」は存在感があって・・・。後は観てのお楽しみ。「人間はそれぞれ自分の時間を持っていて、本当に自分のものである間だけ、生きた時間でいられるのだよ。自分の時間をどうするのかは自分自身で決めなければならない」というマイスター・ホラのセリフがあります。
子どもも大人も何かに追われるような忙しい毎日。2003年例会企画の柱にしているこの作品を通して「本当の豊かさって何だろう?」ってみんなで考えていく1年になればと思います。(M)(2003.3.25.発行 わくわくぽけっと vol.9 より)
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